【第25回】 久しぶりの故郷
僕は、トムの埼玉の家から、電車と新幹線を乗り継いで、近鉄の山田川という駅に夕方6時くらいにおりたった。少し暗かったが、懐かしい風景がそこにあった。
まだまだ、ニュージーランドナイズされている僕は、ヒッチハイクで家に行こうとした。
約4.4kmの道のりだ。ニュージーランドでヒッチハイクをした時は、15分もしないうちにのせてもらったので、今回も楽勝だろうと考えていた。考えはあまかった。家に向いて歩きながら右手の親指を立ててがんばったのが、1時間歩いて家に着いてしまった。やはりここは、日本だった。
家に着いて、一番驚いたことは、弟が成長して、他人にみえたことである。そりゃ2年もたてば、成長期なので20cmくらい伸びていて、幼さはなくなっていた。とにかく、実家に戻ったのだ。12月に入っていたので、もう冬がそこまで来ていたのだった。
僕の頭には、ラフティングのことしか頭になかった。ラフティングをして生きて生きたい!
すぐに、旅立つためにお金を稼ごうと思い、以前にもやったことがあるお歳暮の配達のバイトを始めた。以前は、高校生だったので自転車で1日7000円くらいしか稼げなかったけど、今回は車である。1日12000円平均くらいになった。
3月末までやったので、思ったより稼げたので、弟に借りていた10万円に2万円の利子を付けてかえした。本当にありがたい10万円だった。それでも50万近くあったので、十分すぎるくらいだった。
僕は、仕事に慣れてきた2月から、どこでラフティングの仕事ができるか模索していた。
そして、カナダには、ワーキングホリデーもあり、ラフティング会社もあることをつきとめた。
そして、すぐに手紙を書き始めた。だいたい7社に手紙を書いてエアーメールでおくった。予想では、3~4日で着き、2~3日で送り返すと10日あれば、早いところは、返事がくるかな、と思っていた。2週間後にやっと1通返事が返ってきた。カナディアンロッキーの中にあるジャスパーという町にあるマリーンリバーアドベンチャー(環境保護の観点から今は、もうラフティングができなくなっています)という会社だ。たった一通、でもそれで十分だった。心が浮き立ってすぐに返事を「行きます」と書いて送った。
休みの日を使って、カナダのワーキングホリデーのビザの取得の手続きをはじめた。オーストラリアの時に経験済みなので1ヶ月以上かかることは、予測できた。そう、健康診断とかもあり、これがまた2万円もかかるんだけど、しかたがない。どんどん準備をすすめ1年オープンのタイ行きの1年オープンのチケットも4月20日で予約をした。
カナダでの仕事は、5月の10日からだった。タイでカナダまでの安いチケットを買うのに十分な時間を確保したかったのだった。4月にはいってやっとカナダのワーキングホリデーのビザが下りた。では、続きは、また次回!